工藤聖子(さとこ)です。
4月8日は、
お釈迦様の誕生日でした。
この日は、
私にとっては特別な日で、
父の命日です。
父が亡くなって、
3年の月日が流れました。
一昨日の朝、
祝詞・般若心経をあげていると、
あの頃のことが、
鮮明に思い出されて、
声をあげて泣きました。
私が父の命を預かる決意をして、
責任を持って札幌から千葉へ、
父を連れてきたこと、
最期の時、
痛みで病院中に響き渡る声をあげていた父のこと、
血を吐いて、
逝ってしまったその瞬間、
それらを思い出すと、
まだ涙が出るので、
まだまだ悲しみは癒えてないんだとわかりました。
(コングレスの時に、
寅子先生から「まだ癒えてないよ」と、
おっしゃっていただいて、
ピンときてなかったけど、
やっぱり癒えてないんだと気づきました・・・)
完全に癒えることはないかもしれないし、
とっても時間がかかるかもしれないけど、
それはそれで良し。
焦らず、
今私自身にできる限り、
癒せていけたらいいなと思っております。
父のガンについて
反響が大きかったのは、
こちらの記事↓
↑若かりし父と幼い私。
(夫から私の整形疑惑が・・・笑)
ところで、
去年のことなんですが、
とても嬉しいことがありました。
小学校の校長を退職後、
地方の短大で、
教員を目指す学生さんたちを指導していた父。
仕事には全力投球で挑む父は、
まさに“命がけで”、
学校のシステムの改革をしながら、
学生さんの指導にあたっていました。
父の熱心な仕事の成果もあってか、
父が亡くなったその日には、
新聞に「学生が増えた」という記事が出ました。
子供の数が減り、
地方の短大は学生集めが困難な中、
素晴らしい成果だと思います。
そのことを書いた記事↓
そして、
昨年の年末、
父の教え子から、
母のところに連絡がありました。
「先生のご指導のおかげで、
教員免許を取ることができ、
教職に就くことができたので、
ぜひお墓を参拝して、
報告させてほしい。」
というのです。
しかも、
一人ではなく、
数名とのこと。
昨年の11月に、
私の実家は壊してしまったので、
もう連絡がつかない状況になっていたのに、
なんとか母の携帯番号を探して、
わざわざ連絡してきてくれたのです。
「先生のおかげ」
と思って感謝することはあっても、
わざわざ連絡先を探して、
お墓まで行ってくれるなんて、
なかなかできないことですよね。
本当にありがたいです。
天国の父も、
さぞかし喜んでいることでしょう。
今、私は、
『教育』というのは、
とても大事なことで、
『教える』ということも、
とても大事な仕事だと思うようになりました。
それは、
私自身がホメオパシーの学校・CHhomで学び、
人として育てたいただいたことも大きいです。
父の生前は、
父の生活ばかりに目が行き、
父の仕事を誇りに思ってあげることができなかった。
でも、今は、
父は素晴らしい仕事をしていたし、
父があげた成果は大変大きなものだったと、
胸を張って言うことができます。
父が若い頃行った授業のビデオを、
父の病室でみんなで見た時に、
とても誇らしげに自慢していた父の顔を、
今も鮮明に思い出します。
これから私も少しずつ、
“人を育てること”に携わる仕事ができたらなーと思っています。
募集開始しました↓
どれも本当に良い内容ですよ!
ご参加お待ちしています!
最後までお読みいただきありがとうございました。
『オメオパティア』
(日本ホメオパシーセンター東京渋谷駅前・千葉船橋本町・名古屋金山)
代表 工藤聖子